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黒部ダムと関電トンネルトロリーバス [旅(国内)]

宿願果たして、コンクリートの大建造物を間近に見てきました。造形美もさることながら、自然環境の厳しい人跡未踏の地に、短期間でこれだけの建造物をこしらえた50年前の技術力と、やり遂げようとする強い意志に改めて敬服の念を抱きました。退屈するかな、と思っていたのですが、小学生の息子たちにも好評でした。

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堰堤にたどり着いて振り返ってみれば、展望台から降りてきた階段は断崖絶壁になんとも頼りなく張り付いているように見えます。写真撮影に忙しく、恐怖を感じる暇はなかったものの、逆のルートをたどれるかと問われれば、はなはだ自信なし(体力的にも)。

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コンクリートの打ち込みに使用したバケット(容量9立方メートル)が展示していありました。「これでトンネル掘ったんだぁ」と感心しながら通り過ぎる観光客あり。悲しい。ダム本体のコンクリート打設量は159万8139立方メートル。写真のバケット17万7571回分。一日最大960回運搬したそうで、3年間(冬期を除く)で打設完了。

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レストハウス側のケーブルクレーン用基礎(ダム対岸のクレーンとの間をケーブルで結び、コンクリートバケットなどを運搬した)もアーチ式ダムに負けず劣らずいい眺め。優美なダムとは対照的で、こちらは力強さがあります。

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満々と水をたたえるダム側。撮影日の水深は166mでした(最大水深186m)。

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ということは、下流側は落差186mの谷底というわけです。毎秒10〜15tの放水が水しぶきとなって吹き上げてくるので、マイナスイオンたっぷり(なはず)。

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扇沢駅(長野県大町市)と黒部ダム駅(富山県中新川郡立山町)の間にある関電トンネル(大町トンネル/全長5.4km)も楽しみでした。なにしろ、黒部ダムといえば、個人的には『黒部の太陽』(木本正次)のイメージで凝り固まっていますので。「破砕帯」のワードに敏感です。工事関係者を苦しめた80mの破砕帯を車窓から眺められたのも収穫。

関電トンネルを走るトロリーバス(300形)は、表情がいいですね。暗い地下が似合う顔。ナンバープレートがないから、「何だかちょっと違う」ように感じるのでしょうか。

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ついつい集電装置関連の部品に目が行ってしまいます。ボディ側面を走る4本の黒いラインは、ダムの通称「黒四」(黒部川第四発電所に由来)にちなんだものだそう。

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扇沢駅改札口近くに初代トロリーバス(100形/1964年)の模型が展示してありました。

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弘前・洋風建築散歩その3 [旅(国内)]

まだ続きます。三上ビル(旧弘前無尽社屋/1927年)。昭和初期のRC。幾何学な意匠がアールデコを感じさせて、いいですね。最上階は増築でしょうか。

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旧弘前市立図書館(1906年)も堀江佐吉の作。木造3階建て。八角形の双塔を持つシンメトリーな構成(なのはファサードのみ)。これでもか、という窓の数は木造ならでは? 

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でも、図書館なので窓が多いのはありがたい。異形平面好きな自分を再認識。

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同じ敷地(追手門広場)内にあるのが、旧東奥義塾外人教師館(1903年)。下見板張りのアメリカンなスタイル。ひと家族が暮らすにしては、かなり大規模。

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明治の洋風建築がこれだけの密度で集積しているのですから、弘前、見応えあります。

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追手門広場のとなりにある弘前市役所の敷地内にあるのが、旧第八師団長官舎(1918年)。木造平屋建て。設計は堀江佐吉の長男、堀江彦三郎との説。

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側面にまわると、ハーフティンバーなのがよくわかります。

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市役所を通り過ぎて西に向かうと、藤田記念庭園に行き当たります。庭園の見学は有料ですが、洋館の見学だけなら無料。日本商工会議所初代会頭の藤田謙一が1921年に建てた別邸。東京なら桜田門なり日比谷門なりの門前に居を構えるようなものでしょうか。相当な実力者だったことがうかがえます。設計施工は堀江佐吉の息子たち。2代目ともなると、西洋の取り入れ方もこなれてくるようです。

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正面奥はイングルヌック。お約束どおり、天井が一段低くなっています。暖炉を囲んでくつろぎたいものです。あこがれますね。

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玄関両脇にあるレンガ張りの柱に、花崗岩系(?)の石をランダムに張っています。洒落ています。

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いけない、弘前城を見学する時間がなくなってしまった……。

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弘前・洋風建築散歩その2 [旅(国内)]

では、ガイドブックに載っているような物件を見ていきましょう。まずは百石町展示館(1883年)。大火の後、防火を第一に考えて建てた物件で、当初は角三呉服店の店舗。車寄せのついた洋風の土蔵です。

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1917年(大正6年)に津軽銀行に譲渡され、1998年(平成10年)まで合併後の青森銀行津軽支店として使用されたそう。1階内部は銀行営業室だった雰囲気が残っています。

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教会が多いのは、維新後、学校設立にともなって外国人教師を招いたのと関係があるのでしょうか。日本基督教団弘前教会(1875年)。見ての通り、木造です。双塔の教会ということでやはり、モデルはパリのノートルダム大聖堂。木造のゴシックですね。

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側面にまわったみたら、後付けのフライングバットレスがありました。

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昨日、遠景でお見せした青森銀行記念館(旧第五十九銀行/1904年)。まるっきり洋風なようでいて、どことなぐ東洋寺院風な擬洋風建築。このアングルでは確認できませんが、屋根には日本瓦が載っているような……。

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手がけたのは大工棟梁の堀江佐吉。純和風建築の技術を生かし、見よう見まねで洋風建築を手がけたスーパー棟梁です。当時の市民は正当な西洋風建築を知るわけもありませんから、西洋建築の約束事など守っていなくても、十分に彼の地のムードを感じ取ったことだと思います。現代的な視点で見ると、スタイルの混交がいい味になっていますね。

日本基督教団弘前教会は見たまんま木造でしたが、青森銀行記念館も木造です。大規模ですが、木造二階建て。漆喰で石張りの質感を表現しています。技術的には土蔵に鏝絵と同じ?

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洋風建築に夢中で弘前城を散策する暇がありませんでした。が、城の近くであることは鍵の手の道路で実感。

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弘前・洋風建築散歩その1 [旅(国内)]

弘前がこんなにも洋風建築の宝庫だとは、知りませんでした。どうやら弘前城の周辺に集積しているらしく、歩いているとこんなふうに出くわします(青森銀行記念館/旧第五十九銀行/1904年)。近づいていくにつれ、視界に占めるボリュームが増えていく。その過程がたまらなくドキドキします。

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名のある建築は、それはそれで素晴らしいのですが、ガイドブックに載らないようなちょっとした洋風建築も数多く、飽きることがありません。

左は上げ下げ窓や軒の装飾に洋風を感じさせながら、出し桁造り風の和菓子屋。右の建物は張り出し窓と庇+軒両端の処理が西洋を感じさせます。

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左の喫茶店は山小屋風ですね。革具店(!)の2階には上げ下げ窓が等間隔に並んでいます。

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連続アーチに弱いのです。パラボラアーチにはもっと弱い。

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住宅街も捨て置けません。レンガ塀とアーチ(階段状にセットバック)の組み合わせ。うーん、時間が足りない。再訪候補の上位にランクします。

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大阪・中之島(淀屋橋周辺)プチ建築散歩 [旅(国内)]

「早めの移動」は心がけておくものですね。(昼食を車内で済ませるなどして)少し時間ができたので、プチ散歩しました。しかし、暑かった。なにしろ、大阪府内で今年初めて猛暑日を観測したそう。1時間弱歩くのが限界でした。

真っ先に向かったのは、中之島の東端にある大阪市中央公会堂(1918年/岡田信一郎=原設計+辰野片岡建築事務所=実施)です。ヨーロッパのターミナル駅のような趣き。品がありますね。ライトアップした様子も見ておきたい。

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土佐堀川側の窓には「がんばろう! 日本 東北」の文字。

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脇に回ったら建設当初に周囲に張り巡らしていた欄干親柱石やレンガ壁(断面厚53cm。小口の列と長手の列が交互に重なるイギリス積み)が展示してありました。

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その東側は大阪府立中之島図書館(1904年/野口孫市+日高胖=増築した左右の翼部)。当時の住友家当主が寄贈。重々しいですなぁ。厳粛な気分で本を眺めたい気持ちも芽生えましたが、先を急ぎます。

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気になる橋が視界に入ったので寄り道(という表現はおかしいか。全体が寄り道なので)。堂島川に架かる水晶橋(1929年)です。聖橋にも通じるアーチがいいですね。

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どことなくアールデコな親柱。

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あの時代の未来を感じさせる照明。じっと眺めていても飽きることがありません。

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図書館の東隣、大阪市役所(1985年。門灯がいいですね)を通過すると、淀屋橋が架かる御堂筋です。緑陰でミスト散布中。一度ここで立ち止まると、離れがたい。

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国道の先(淀屋橋の西北側)にあるのは日本銀行大阪支店(1903年/辰野金吾=旧館)。しかしまあ、淀屋橋周辺の建築物を手がけた建築家ときたら、ビッグネームばかりです。

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土佐堀川の向こうに、巨大なボリュームの箱が見えたので近づいてみると、住友ビルジング(現・三井住友銀行大阪本店。1930年/長谷部鋭吉+竹腰健造+住友合資会社工作部)でした。石張りの外壁。近づいて見たかった。

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淀屋橋(1935年)にたどり着いて、プチ散歩終了。建物の高さがそろっていると、(パリのセーヌ川沿いのような?)いい眺めなんでしょうが……。

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横浜から刈谷へエルグランドで移動 [旅(国内)]

「人とくるまのテクノロジー展2011」のつづきです。でも、展示物の話ではなく、「移動した」という話。パシフィコ横浜を出発し、東海道本線/名鉄三河線・刈谷駅直結の名鉄インに泊まりました。

高速道路や国道級の道路では、エルグランドのサイズを意識することはなかったのですが、駐車枠に収めてみると、歴然とします。はみ出しているし……。

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エルグランドの車内とあまり変わらない広さの部屋ですが、清潔で、照明は暖かく、なかなかの居心地です。コンパクトな室内を生かし、デスクワークはベッドに腰掛けて行うのかと決めつけてしまったのですが、朝チェックアウト間際に下を覗いたら、スツールが隠れていました。

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12階(だったかな?)から眺めた北口方面の夜景。トヨタ車体やデンソーやアドヴィックスやジェイテクトやアイシン精機などが闇に溶け込んでいるはずです。駅直結のホテルは便利ですね(クルマの移動でも)。

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箱根ロープウェイと黒たまご [旅(国内)]

少なくとも100回は箱根を訪れていると思うのですが(ほとんど日帰り)、訪れるのは仙石原から湖尻にかけてが多く、たまに元箱根といった具合。湯本に強羅、早雲山に仙石原の湯を浴びたことはありますが、未踏の地が残っていました。大涌谷(標高1044m)です。

せっかくなので、桃源台駅(標高741m)にクルマを止め、箱根ロープウェイを利用して向かってみました。ロープウェイ、新型になっていたんですね(早雲山〜大涌谷間は2002年、大涌谷〜桃源台駅間は2007年)。それすら知りませんでした。

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ゴンドラはスイスCWA製。設計・施工は日本ケーブル。定員18名でゆったりしており、揺れも少なく、快適です(高所にいても不安が少ないという意味で。ゴンドラは、それ自体より幅の広いロープで支える方式。ゆえに風に強く、風速30m/sまでなら運転できるそう。そもそもそんな風の強い日にケーブルカーに乗る気にはなれませんが、麓では風は弱くとも山頂付近では突風吹きすさぶこともあろうかと。乗車日がまさにそう。それでも快適でした)。運転速度は5.0m/s。ほぼ1分に1台の割合で発着するので、休日でもそれほど待たずに乗れるかと。

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ロープウェイが転回する場所のメカです。乗客の視線を受け止めるだけのお化粧が施してあります。いいですね。

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「食べると長生きできる」はずの黒たまごですが、塩加減がいい塩梅で、おかわりしてしまいました。「温泉の硫化水素と鉄分が結合し、酸化鉄となって黒くなったもの」と、玉子茶屋の袋に書いてあります。5個入り500円。

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黒たまごづくりは、大涌谷噴煙地にある黒玉子茶屋のすぐ横で行います。

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95℃の湯で1時間煮ると、ほら、こんなに黒く。湯上げ後、5分蒸してできあがり。

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できあがった黒たまごは、ケーブルカーで麓のお店に運ばれます。黒くなる前のたまごは、逆のルートで茶屋にやってくるのでしょう。

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芦ノ湖上から眺める景色も格別でした。休日終わり。

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日産エンジンミュージアム [旅(国内)]

「日産自動車横浜工場 ゲストホール・エンジン博物館」が現在の正式名称でしょうか。呼称がいくつか並存しているようです。エンジン博物館としてオープンしたのは、2003年4月。それ以前は、「横浜工場1号館」。もっとさかのぼると、1968年に東京・銀座に移転するまでは「本社」でした(68年に移転するまでの数年、道を挟んで反対側にある工場敷地の建屋で過ごしたという話を耳にしましたが)。

↓銀座・本社はこちら
http://serakota.blog.so-net.ne.jp/2010-03-05

1933年に創業した日産自動車が35年に本社兼工場事務所ビルとして建てたのが本物件です。これぞ京浜工業地帯という色気に乏しい風景にあって、気品のある佇まい。

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2階展示室には、本社時代の風景を再現した模型が置いてあります。工場敷地に沿って貨物線が通っていました。つい最近まで踏切の跡が残っていたようです。

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横長の矩形窓が整然と並ぶ様子、たまりません。竣工当時の写真を見ると、門柱はアールデコ調の装飾が施されていたようです。いやぁ、いいですねぇ。現存する建物の奥にもう1棟建っていた(1933年築)のですが、こちらは取り壊されて、現在は駐車場になっています。

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手元にある、横浜の近代建築をまとめた写真集(1991年発行)には、取り壊された建物の方を「日産自動車本社」として紹介しています。4階建なこともあり、一部3階建てのエンジン博物感よりボリュームがあります。2階と3階に2つの出窓があって、これが外観にアクセントを与えていると写真集では指摘していますが、確かにそのとおりで、張り出した出窓が「西洋」を感じさせます。耐震補強工事の費用がネックとなり、泣く泣く取り壊したと聞きます。

1棟が残っただけでも良し、とするべきですね。2階の廊下です。戦前のオフィスビルを想像してごらん、と言われて思い浮かべるイメージはこんな風ではないでしょうか。

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こちらは1階のエンジン博物館。外壁や内壁にバツ印のブレースをつけた耐震補強をよく見掛けますが、日産旧本社の場合は、竣工時の様子を損なわないよう工事を行ったそう。見事ですね。

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ヘラ蟹の燻製 [旅(国内)]

思いもよらぬところでうまいものに出くわすと、感激が倍増します。いやぁ、うまかった。南保留太郎商店(北海道余市郡余市町)の店先で食べたヘラ蟹の燻製。数年前からあるようですが、店先でその存在を初めて知りました。

「ここで食べたい」と宣言すると、おしぼりとはさみを貸してくれます。クーラーボックスを持参すれば持ち帰れますが、そんなことが可能なのは道内でも日帰り圏内在住者でしょう。こちらは都内在住の一旅行者ですので、食べて帰るしかありません。が、海風に吹かれながら蟹をつつく行為が贅沢というものです。

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たかが燻製となめてかかったら完全にやられました。殻ごとバリバリ食べるわけではなく、燻香漂うしっとりとしたミソや身を、ほじくり出しては食べるわけです。写真のヘラ蟹は「大」に分類されるサイズで、1パイ300円。味見するだけのつもりが止められず、おかわりし、結局昼メシになってしまいました。

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いくら手を洗っても、その日一日は燻製の香りが指先から離れません。それをおかずにごはんが食べられる(ような気がしました)。余市に寄ったらぜひ、いや、これを目当てに余市を目指してもいいほどの、絶品です。

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山線鉄橋 [旅(国内)]

思いもよらぬところで産業遺産に出くわすと、感激が倍増します。遊覧船に乗るつもりで支笏湖(北海道千歳市)畔に降り立ったのですが、道中出くわしたのがこれ。1899年(明治32年)製の鉄橋で、道内最古だそう。

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現地の説明書きなどによると、この鉄橋、当初は北海道官設鉄道上川線・砂川〜妹背牛間の空知川に架けられていたそうで、1924年(大正13年)に王子製紙に払い下げられ、湖畔橋として現在地に移設。以後、千歳川に建設する発電所建設資材の運搬を目的とした王子軽便鉄道(通称:山線、苫小牧〜支笏湖間)に使用。1951年(昭和26年)に廃線。1967年(昭和42年)に千歳市に寄付。1997年(平成9年)に修復工事が行われました。

現在は歩道橋。ピン結合によるダブルワーレントラスをつぶさに観察しながら渡ることができます。

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鉄道建築技師長として招聘されたイギリス人技師、チャールズ・ポナールの設計。銘板は、この鉄橋がかつてバーミンガム近郊のウェンズベリーにあった、パテント・シャフト・アンド・アクスルツリー社製であることを伝えます。

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しかし、いいですねぇ、トラス橋。

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