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【レースな世界紀行2004】その1の1 [レースな世界紀行 2004]

調べものがあって2004年に書いた原稿をあさっていたら、出張した折に書いておいたなぐり書きのようなテキストが出てきました。ブログをやっている時期だったらブログに上げていたのでしょうが、始める2年前だったので、備忘録やら雑記帳やらに残しておくようなつもりで書いたのでしょう。

これが、読み返してみると、書いてある内容が人ごとのように新鮮。ほとんど覚えていないことばかり。「あ、こんなことあったんだ」と。テキストの中で登場する人物に、7年(もうすぐ8年)の歳月を感じます。20回か30回か40回にわけて、アップしていこうと思います。不定期で。途中で前触れもなくぷつっと終わるかもしれませんが……。

その1の1
トヨタF1新車発表会
ドイツ・デュッセルドルフ〜ケルン

松飾りがとれてすぐ、飛行機に乗った。参戦3年目を迎えるトヨタF1の新車発表会に出席するためである。会場はトヨタF1の開発・製造、チーム運営の中枢であるTMG(トヨタ・モータースポーツGmbH)で、目的地はドイツ・ケルンの郊外である。

最終目的地はケルン、と言い換えた方がいいだろうか。ストレートにケルンには向かわず、北に40kmほど離れたデュッセルドルフに宿泊先を設定したのだから。なぜか?旅の一団を構成する3名のうちひとり、すなわち僕にまったく主体性がなかったからである。「初日はデュッセルに泊まろうか」「いいですよ」てな具合で決まった次第。

理由らしい理由があるとすれば、トヨタからTMGに派遣されている日本人スタッフの多くがデュッセルドルフに住んでいること。当地の自治体がさかんに日本企業を誘致した甲斐があって、いまやデュッセルドルフには約7000人もの日本人が住んでいるという。街を歩けばごくふつうに日本人の姿を見かけるし、日本の食材を扱ったスーパーマーケットもあれば、最新の書籍や雑誌(もちろん日本の)が手に入る本屋もあり、串揚げ屋もあれば、ラーメン屋もある。ゆえに、TMGの日本人スタッフはデュッセルドルフに住み、毎朝トヨタ車を運転して職場のあるケルンまでドライブを決め込んでいるのである。

こうした日本人スタッフらと夕飯でもご一緒しようと、僕ら取材陣はケルンにそっぽを向き、宿泊地にデュッセルドルフを選んだのだった。が、見事に肩すかしを食らった。トヨタは新車のシェイクダウンをフランス・マルセイユ近郊のポールリカール・サーキットで行っており、TMGの主だったスタッフも彼の地に赴いていて不在だったからだ。

だから、僕ら3人衆は久々の海外渡航で疲れ切った表情を浮かべつつ、「越佐(えっさ)」というラーメン屋で静かに食事をとったのである。でも、いいのだ。デュッセルドルフにはアルト・ビールがある。焙煎した麦芽が醸し出す暗褐色の液体は、わずかに苦みの利いた香りでもってチクチクと鼻の奥を刺激しつつ、控えめな炭酸でのどの奥をチロチロと突っつく。僕はこのアルト・ビール200ml入り一杯2.5ユーロ也を2杯は胃袋の中に収めるつもりでいたから、腹がふくれるラーメンを頼まずに、チャーハンと餃子をオーダーした。賢い選択だと自画自賛。満腹ゆえに時差ボケによる“深夜の目覚め”を経験せず、2日目の朝を迎える。

 メルセデス・ベンツC180ディーゼル(レンタカーです)の助手席に収まり、小1時間のドライブでTMGに着いた。この日のテーマは、TMGを巨大組織に育て上げた立役者、オベ・アンダーソンさんのインタビューと、翌日に行われる新車発表会の設営・リハーサル風景を取材することである。

「午後にイギリスに行かねばならない」と聞いていたから、あえて午前中に取材を申し込んだのに、念のため「今日のご予定は?」とたずねると、「一日空いているよ」とにっこり応えるアンダーソンさんであった。

「過去のラリー活動で獲得したトロフィーの写真を撮りたいんですが。どこにありますか?」と質問すると、「ほとんど家にあるな」の答え。すかさず、「では、インタビューのあとお宅におじゃましてもいいでしょうか」と切り出すと、「ああ、いいよ」と軽く答えてくれた。言ってみるものだ。

TMGから30分くらい、と聞いていた我々は、アンダーソンさんが運転するレクサスLS430の尻を追っかけた。およそ10分、一般道を周囲の流れに合わせて走ったアンダーソンさんのLS430は、おもむろにアウトバーンの進入ランプに舵を切った。ここまでは予想の範囲内。だが、このあとアンダーソンさんは僕らの予想をはるかに超えた行動に出る(というより、僕らの予想が甘すぎた)。

見覚えのある道だな、と思ったとおり、アンダーソンさんがたどるのはF1ヨーロッパGPの舞台としてあまりにも有名な、というよりヨーロッパのみならず日本でも“クルマを鍛える過酷な舞台”として有名な、ニュルブルクリンクへと向かう路線だった。

LS430は追い越し車線をまっしぐらに突き進む。速度計の針は180km/hの目盛りを挟んで行ったり来たりを繰り返していた。「この調子で行ったら本当にニュルに行っちゃったりして」と、車内では冗談交じりの会話が行われていたのだが、あながち間違った発言でもなかった。着いた先はニュルブルクリンクを抱えるアイフェル山麓、草原と木々とワインディングロードしかないような、いかにもローカルな風景が広がっている。

アウトバーンを降りたアンダーソンさんは、左足ブレーキを駆使して巨体をいとも簡単に操り、居宅へと我々を案内したのである。確かにTMGからは30分ほどのドライブだったが、その距離は約60km。この距離を毎日往復するのはさぞかし大変と思いきや、「あえてこの地に家を求めたんだよ」と、スウェーデン生まれのアンダーソンさんは説明した。

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「ケルンは夏暑いから、涼しい高原に家を求めたんだ。ここはサマーハウスとして使われていたところで、1930年代の築。過ごしやすくて気に入っているよ。ロングドライブ? 全然苦にならない。私は運転するのが好きだから」

「まさか」と否定されることを念頭に置きつつ、「たまに、ニュルブルクリンクに行ったりもするんですか」と質問すると、「ああ、行くよ」と、元ラリードライバーのアンダーソンさんは平然と答えるのだった。「レクサスLS430がデビューしたとき、トヨタはオーストラリア人のジャーナリストをニュルブルクリンクに招いて試乗会を開いたんだ。そのとき、私はアラン・ジョーンズ(元F1ドライバー)と一緒にLS430をドライブした。隣にジャーナリストを乗せてね」

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 ワインディングロードから横にそれ、クルマの往来によってタイヤの通り道だけ地面が窪んだ未舗装路を100mも走ると、アンダーソン邸にたどり着いた。家の左手に馬小屋。「私は興味ない。妻の趣味だ」と言いながら、スペイン生まれの馬にはカルロス、フランス生まれの馬にはディディエと、ラリードライバーに由来する命名をしているところに、少なからぬ関与を感じ入る次第。(つづく)

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