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【レースな世界紀行2004】その5 [レースな世界紀行 2004]

8年前に書いた日記なので、「どうして?」と質問されても答えられませんが、レースの話ではありません。お許しを。当時の写真を探しましたが、撮影禁止だったのか、残っていませんでした。これも、お許しを。

それにしても、8年前のあの技術、いまどうなっているのかが気になります。

その5
日産耐久信頼性実験見学
日本・栃木

まったくレースとは関係ない旅だし、「世界紀行」と銘打っておきながらバリバリの国内なので、ダブルで禁を犯しているのだが、“オーバルコース”に免じてお許しいただきたい。いやしかし、オートレース場だの競馬場だのいろいろ連想のしようがあるだろうに、左回りの周回コースを見て即座にオーバルコースを連想するところなんざ、レースな思考に冒されすぎである。

場所は栃木県の河内郡である。上三川町と書いて「かみのかわまち」と読む。そこに、日産自動車の栃木工場があり、プルービンググランド、平たく言えば、評価路だの試験路だのと解釈することのできる施設がある。

なぜこんなところを訪れたのかといえば、日産自動車からお誘いがあったからだ。「自動車会社が研究・開発の現場でいったいどんなことをしているのか、エンドユーザーに情報を伝達する立場にあるジャーナリストにもっと良く知ってもらいたい」という親切心が発端になっている。呼び集められたのは日産・広報部が言うところの「若手ジャーナリスト」だが、何歳から何歳までが若手かという定義はかなり曖昧である。ま、それはいいとして、「滅多に見られないところが見られる」というだけで、片道120kmの行程もなんのそのだ。

テーマは「耐久信頼性実験見学・体験会」であった。いわゆる車体の耐久性というやつで、自動車という機械は使っているうちに傷んでくる。傷んでくるが、使って1カ月、1000kmも走らないうちにサスペンションが折れて走行不能に陥っては困るし、ボディにガタが来ても困る。

というわけで、耐久信頼性試験の出番だ。栃木プルービンググランドには、クルマにとって過酷な環境が整っている。日産自動車はクルマが市場に出る前にここで充分な試験をし、耐久信頼性を確かめている。林道を模したデコボコ路があれば、ザラザラした路面もある。日産のクルマは日本だけを走るわけではなくて、ヨーロッパや中国や中近東やオセアニアや南北アメリカをも走り回っている。わざわざ現地で実走行テストをしなくても済むように、世界各地の路面をここで再現しているのだ。ベルジアンロードと呼ばれる石畳の道もある。

僕らはクルマを買って、デコボコやザラザラや石畳ばかりを走るわけではなくて、スベスベした路面を走ることのほうが多いけれども、過酷な路面で耐久信頼性の確認ができていれば、スベスベでも安心して走れる。だから、ここには意図的にデコボコやザラザラが施してある。

まことにエンドユーザーを思いやった配慮だか、デコボコやザラザラの上を一日中走り回っているテストドライバーはたまったものではない。実際にテストコースを試乗させてもらったが、1周や2周なら「わー、面白い」で済むかもしれないが、100周や200周となるとちょっとツラい。1万周や2万周となると、続けられる自信はなくなってくる。

だが、そうやって開発中のクルマをテストしないと、「クルマの耐久信頼性」という大切な部分を確かめることはできない。というわけで、日産のエンジニアは知恵を絞り、自動運転装置を開発した。効率の向上と労働環境の改善のためである。

自動運転による耐久信頼性試験は、1周約400mのオーバルコースで行われている。おそらく、テストコースの端のほうだと思う。40年前の自動車運転教習所はかくありなん、というとてものんびりした空気が流れる一角に、掘っ建て小屋様の制御室があり、その向こうにデコボコやザラザラの路面が広がっている。そしてそこをテスト車両が無人で(!)走っている。

時速は30km/h。聞けば40km/hまでは出せるのだという。近くで見たいという、好奇心の仕業だろう、自然とオーバルコースとの間合いが詰まっていったのだが、すると、
「だめだめ、危ない」
と、現場の責任者のような人が声を出した。グレーの作業服に身を固め、頭に作業帽を載せている。自動車会社とは面白いもので、デザインを担当している人は身なりがファッショナブルである。テストドライバーは「ワタシ、峠攻めてます」というオーラを全身から放っている。電気自動車の電池やモーターを開発している人は学者肌な人が多いように見受けられる。で、40年前の自動車運転教習所風な自動運転試験路に詰めている人は、なんというか、人の良さそうなおじさんだ。赤ちょうちんで一杯やったら話が弾みそうな雰囲気を醸し出している。

そのおじさん、いや担当者が、「今止めてお見せしますから」と言って、見学者一行を制した。テスト車両がぐるっと回ってスタート/フィニッシュラインのような場所に戻ってくると、スーっと電車が駅に停車するように、ではなくて、カックンといかにも唐突な感じで止まった。
「どうぞ中をお見せします」
の合図で一行そろってテスト車両に近づくと、一段と高い声が飛んだ。
「あ、ダメ、クルマの前は通らないでください」

フロントバンパーの前に差し出した足がフリーズ。抜き足差し足で後ずさりし、クルマの側面に回ってテスト車両を覗き込む。首を突っ込んで車内を見ると、スチール製のボックスが前後のシートの上に載っている。どんな風情かというと、40年前のオフィスにあるようなスチール家具風である。引き出しがついて中にファイルをしまい込むような感じ。そうしたスチール製の箱にスイッチがたくさんついている。

運転席にドンと載った箱はおか持ちくらいの大きさがある。そしてそこから黒い鉄の棒が伸び、先の方が3本に分かれてステアリングをがっちりつかんでいる。視線を下に移せば、金属の棒が1本はアクセルペダルに、もう1本はブレーキペダルに伸びている。ロボットが人間の替わりにクルマの運転操作を代行していると思えばよろしい。

で、どうやって周回路をコースアウトせずに走っているのかといえば、人間なら“自戒”だが、自動運転のテスト車両は“磁界”に頼っている。コースの外側と内側から磁力が出ている。テスト車両に装着された磁力センサーがコース脇から発せられた磁力の強弱を感知。左右の磁力が均衡する位置に留まるようステアリングを操作する。右側の磁力が強いと感知すれば左に修正し、左側の磁力が強いと判断すれば右に修正するのだ。

400mの周回コースに4台が同時走行できるシステムも組まれている。これは電車の運行で用いられているATS(自動列車停車装置)を応用したものらしい。などという話を聞くと、テスト車両がオーバルコースを周回する様子が、鉄道模型がジオラマを走行する様子にダブって見えるから不思議だ。

「本来無人なんで、人が乗ることはないんですけどねぇ」などとひとりごちるような調子で担当者が言いながらも、見学者を乗せてくれることになった。助手席に1名、後席に1名が乗車する。見学者が乗る際は「クルマの前は通らないで」と言うことを忘れないし、順番待ちをする見学者に向かって「ガードレールの外に出て」と言うことを忘れない。「乗っちゃって大丈夫なんだろうか」という不安感を抱かせる演出だろうか。

外から見ていると、動きだしはスムーズだが、停止はやっぱりカックンだ。制御室でテスト車両の動きを操る担当者に質問をぶつけてみた。
「どの程度の発進加速なんてすか?」
「0.2Gです」
「では、停止は?」
「減速も同じで0.2Gです」
「ずいぶん急に止まっているように見えますけど」
「ああ、あれは緊急停止ですから」
「普通に止められないんですか?」
「いや、ええ、まあ」
 僕は助手席に乗せてもらった。
「真ん中より運転席側に身を乗り出さないでくださいね。なにしろ、人が乗るようにはできてませんから」
「はい……」

400mの周回コースにデコボコだのザラザラだのいろんな路面が混在することを確認しようと思っていたのだったが、そんなことに気を配る余裕はなかった。なるほど、発進はスムーズだ。スムーズだが、車内は騒々しい。ステアリングを握る“鉄の爪”が落ち着きなくカチャカチャと神経質な音を立てて進路に微修正を加えるである。直線はまだいいが、コーナーに差し掛かるとすごい。極度の緊張で手が震えている免許取りたての初心者のような感じで、カチャカチャのピッチも高まる。とても落ち着いて乗ってはいられなかったが、貴重な体験をさせてもらったことに間違いアリマセン。


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【レースな世界紀行2004】その4の2 [レースな世界紀行 2004]

F1オーストラリアGP編は今回で終了。いったん日本に戻ります。

その4の2
F1開幕戦オーストラリアGP
オーストラリア・メルボルン

F1ドライバーは多忙だ。トヨタのドライバーを例にとってみると、2月末にイタリア・イモラで最後のオフシーズン・テストを終えた彼らは、直接オーストラリアに乗り込むことをせずに東京に立ち寄り、ファンやスポンサーやトヨタの従業員に向けたイベントをこなした。

過密なスケジュールを嫌な顔ひとつ見せず、と書きたいところだが、嫌な顔を見せないように精一杯努力して日本を後にし、オーストラリアはシドニーに着いたのが、開幕レースが行われる週の火曜日のことである。メルボルンにはまだ着かない。

笑顔でプロモーションイベントをこなしながらも、彼らが内心落ち着かない様子なのは、ライバルである他のドライバーの何人かが、すでにメルボルン入りを済ませていたからだった。メルボルン入りを済ませているドライバーにしたって、特別何かをしているわけじゃない。金曜日の午前11時になるまでサーキットでF1マシンを走ることはできないのである。でも、先に現地に入っているというだけで、「先を越された」感じをドライバーは受けるのだろう。

火曜日にシドニーに入ったトヨタのドライバーは、トヨタの現地法人に向けたプロモーションイベントを行ったのちに、メルボルンにたどり着いて一段落と相成った。これについて面白いエピソードがある。メルボルンにはトヨタの生産工場がある。前年は、ふたりのドライバーが工場を訪れ、従業員に向かって「頑張ります」という宣言を行い、従業員は従業員で「頑張ってくれや」とエールを贈るイベントが執り行われたのだが、そのことについてゆゆしき問題が生じたのである。

「おいおい、もうすぐF1ドライバーがやってくるゼ」という訳で、従業員たちは仕事をする手が次第におろそかになった。おろそかになった結果というのは、即座に製品の品質に跳ね返る。後で調べてみると、ドライバーがやって来る何日か前の製品は顕著な品質低下が見られたのだという。

そんなわけで翌年、工場訪問は取り止めになり、会社は従業員に観戦チケットを半額で斡旋。チケット購入者にはチームウェアなどを配る方式に改めた。「オーストラリア人たら、なんてだらしない」とは思わない。むしろ、F1ドライバーが来るってんで、仕事が手につかずそわそわしているサマを想像すると微笑ましくなってくる。

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新しいシーズンを戦うF1マシンを間近に見ておこうと、外に出た。でも、観客席には直行しない。売店で生ビール(4.8豪ドル=480円)を買い、フィッシュ&チップスを買うことを忘れなかった。要するに、すっかり観客気分なのだが、こういうときのために「客の立場に立ってF1を観戦することは、いい記事を書くためには必要なのだ」という言い訳を用意している。

ビールがこぼれないように気を付けながら、そろそろと観客席にたどり着いたら1時になった。「まずい、メシを食わないうちにセッションが始まってしまう」とそわそわしていると、F1ではなくてBMWのコンパクトがスーッと目の前を通り過ぎていった。

これはナンゾや。メモを取りだしてスケジュールを確認すると、F1のフリー走行開始は午後2時からとしっかり書いてある。なんのことはない、1時間間違っていたのだ。目の前で行われているのは“BMWセレブリティ・チャレンジ”で、オーストラリアの有名人たち、すなわち、俳優やらスポーツ・コメンテーターやらオリンピックのゴールドメダリストやらボクサーやらがステアリングを握っているのだ。

プロフェッショナルのレーシングドライバーでないので、ライン取りはまちまちだし、ときにはミスをして、コーナーの出口はあっちなのに、観客席があるこっちを向いて走ったりしている。そんなこんなが微笑ましい。

すっかりピクニック気分でフィッシュ&チップスをビールで流し込んでいたら、あっという間に午後の2時になった。前日は35度にまで気温が上昇したが、一転、この日は22〜23度で過ごしやすい。まさに観戦日より。

「BMWコンパクトの速さに目が慣れているから、F1がカッ飛んできたら余計速さの違いに驚くだろうなぁ」なんて思いつつ、ビール片手にのんびり構えていたら、カーン、カーン、カーンというエグゾーストノートが近づいてきて、目の前を矢のようにF1マシンすっ飛んで行った。BMWコンパクトがお尻をずるずるスライドさせていたコーナーを、何事もなくへばりつくようにして通過し、去っていく。

次元が違う。何度もこの目で見ているのだけれど、「F1はスゲー」と感心せざるを得ない。ちょっと目が慣れてくると、チームによる速さの違いや、ドライバーによるライン取りや操作のクセなどがわかってもっと面白い。フェラーリはアウト側のタイヤをダートに落として姿勢を乱しているにもかかわらず、強引にステアリングを切って態勢を整え、アクセルをグングン踏んで走り去っていく。

ルノーは一糸まとわぬ、でなくて、一糸乱れぬきれいな姿勢でコーナーを通過していく。エグゾーストノートが一段低いのは、他のマシンよりも一段低いギヤを使っているからか。ガンガン走り抜けるフェラーリとヒタヒタと走り抜けるルノーは、どちらも他のチームのマシンに比べて明らかに速い。

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少なくともシーズン序盤はフェラーリとルノーを軸にした戦いになる、と見当をつけたが、レースは予想通りの展開になった。フェラーリが速すぎたけれども。

フジテレビのF1解説で現場を訪れていた元F1ドライバーの片山右京さんが言った。「タイヤが4個あってハンドルが1個ついていたら、どんな乗り物でも飛ばした時点でスポーツドライビングなんだ」と。これは乗り手の立場から出たコメントだが、見る側にしても同じである。タイヤが4個ついた乗り物がビュンビュン飛ばす様子を見るのは、何物にも代え難く面白い。ましてや最高峰に位置するF1ならなおさら。ロケットが空中戦をしているような、我々の理解の範疇を著しく超えた要素があるにしても。

オーストラリア・グランプリのオフィシャルスポンサーになっているフォスターと、ビクトリアン・ビター(通称ビービー)、クラウン・ラガーなど、ご当地ビールを交互に飲み、チャイニーズ・レストランではしっかり青島(チンタオ)を喉に通して、例年どおりのグランプリ・ウィークを過ごした。ついでだから、オーストラリアン・ワインも飲んだし、紹興酒も飲んだことを白状しておく。
(つづく)

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【レースな世界紀行2004】その4の1 [レースな世界紀行 2004]

ようやくシーズンが始まります。あとで出てくるので参考までにお知らせしておくと、1オーストラリアドルの交換レートは現在、80円ほどです。

その4の1
F1開幕戦オーストラリアGP
オーストラリア・メルボルン

メルボルン行きの直行便ができて、F1取材がずいぶん楽になった。カンタス航空QF180便は成田を夜の8時15分に出ると、メルボルンには翌朝の8時半に着く。向こうは日本より2時間先に物事が進行しているから、フライトは10時間である。何年か前までは直行便がなく、早朝のシドニーで乗り継ぎの時間をだらだらと過ごし、だらだらとメルボルンにたどり着いて、だらだらとその日一日を過ごしていた。

ので、直行便は楽である。QF180便の機材はボーイング747、いわゆるジャンボではなくて、767-300だった。だから、座席も3席/4席/3席でなくて、2席/3席/2席と並んでいる(言わずもがなでエコノミークラスである)。

僕が座った42のB席は通路側だった。はてさて隣人はどんな人なのであろうか、というのが飛行機に乗る際の期待でもあり不安でもあるのだが、もっとも僕を喜ばせてくれるのは隣の席が埋まらないことである。横一列の座席を独占できれば、快適なことこのうえない。

だが、そんな幸運は滅多に訪れない。であれば、10時間のフライトを快適にすごせるような、物理的にも精神的にも益があっても害のない隣人を望みたい。

はてさて、メルボルン行きの隣人は希望に叶った人物だった。おそらくはオーストラリアに帰ると思われる、シニアな御婦人。手に持っていたコートを頭上のコンパートメントに入れてあげたことで、このとき僕と御婦人との間に友好なムードが生まれた。そのご婦人は着陸寸前に「今、何時かしら?」と声を掛けてきた。
「オーストラリアに帰るんですか?」との返答をきっかけに、会話が生まれる。
「そうよ、メルボルンに帰るの。日本までクルーズしてたからね」
「そうですか。え、クルーズ?」
「そう。クイーン・エリザベスでね。シドニーに寄って、ケアンズに行って、それからどこでしたっけ。パプア・ニューギニアのどこかに寄って、グアムに行って、横浜に着いたの。13日間の旅だったわ」
「豪華ですね」
「でもね、クイーン・エリザベスはもう古くてだめね。今度新しい客船ができたんだけど、今度はそっちに乗りたい」
「日本は楽しめましたか」
「それが全然時間がなくて。横浜で1泊だけしたんだけど、雪が降ったのには驚いたわ。日本人てすごいのね。6時にバスが出ると言ったら、本当に6時にバスが出るんだもの。今度は桜の咲く季節に行きたいわ。桜は4月でいいのよね」

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フォード・ファルコンというオーストラリアにしか存在しないクルマをレンタカー屋さんから引っ張り出して、20kmばかり離れたメルボルン市内のホテルに到着したのが午前10時半頃。常宿にしているホテルはいわゆるアパートメントホテルというヤツで、部屋はベッドルームとリビングルームに分かれ、キッチンがついている。滞在中、ここで料理を自作することなどまずないし、ソファに腰を降ろしてポテトチップをかじりながらテレビをぼんやり見るといったこともまずないのだが、キッチンとリビングがついているだけで心が豊かになる。だから、僕はこのホテルが好きだ。おかげでメルボルン滞在は快適である。

いつもと違って快適でなかったのは、日本円の対豪ドルレートがすこぶる悪かったことによる。何もかもが高い。空港で1万5000円を豪ドルに両替したら、戻ってきたのが150.15豪ドルである。すなわち、1豪ドル=100円。つまり、600ml入りのミネラルウォーターをセブンイレブンで買えば、2.1豪ドルなので210円相当。暑いからとアイスクリームでも買おうものなら2.8豪ドルすなわち280円なので、冷凍庫に伸びた手が思わず止まった。

昼はホテルから歩いて100歩ほどの日本料理店で本日の定食13豪ドル也を腹に収め、夜は30歩離れたチャイニーズ・レストランに行き、同じホテルに泊まっている同業者6名とテーブルを囲んで酢豚やらチャーハンやらを食べた。ホテルに戻ってベッドに横になり、内田百閒の『阿房列車』を開いた。開いたら途端に眠くなった。

メルボルンは国産車の宝庫である。しかも、もはや記憶の片隅にしか残っていないような懐かしいクルマをしばしば見かける。例えば、510型ブルーバードであり、FRのファミリアであったりする。マニアが後生大事に乗っているという雰囲気ではなくて、気がついたら古くなっていたという風情がまたいい。

交差点で信号待ちをしている際などに、目の前をそうした“いい風情”のクルマが横切ると、思わず気持ちがなごむ。スカイラインなどは歴代がそろう。僕はR30型とR33、R34型のスカイラインとしか遭遇しなかったが、「S54Bを見た」という証言を得ることができた。

クラシックと呼ぶには風格に欠け、最新と呼ぶにはちょっと時代遅れな部類に入る、S14シルビアやスープラ、インプレッサなども見かける。こうした国産車はチューンアップやドレスアップを施しているものが多い。メッキしたアルミホイールに車高短、ぶっといマフラーにスモークフィルムという組み合わせで、「SUKEBE」という粋なナンバープレートをつけたクルマも見かけた。

そういうクルマとの発見を心待ちにしながらサーキットに通うのは気分がいい。しかも、ホテルからサーキットが近い。エキシビジョン通りにある駐車場を出て2本目の角を左に曲がり、500m先を再度左に曲がってしばらく真っ直ぐ。キングス通りに入って川を渡ってすぐ右に曲がる。最初の信号を左に曲がってどんつきまで行くと、そこがオーストラリア・グランプリの舞台となるアルバート・パークである。わずか15分のドライブだ。

どんつきを右に曲がって公園沿いを走り、トラムが頭上を走る角を左に曲がれば、サーキットの入口が見えてくる。運が良ければ、頭上をトラムが横切るシーンに出くわすのだが、あるとき、F1にタイヤを供給するブリヂストンの広告が貼ってある車両に遭遇した。

文句が振るっている。「Formula Won Won, Won, Won and Won」と書いてあるのだが、フォーミュラ・ワンの「One」と「Won」を引っ掛けている。もひとつ、ワン、ワン、ワン、ワンというのは、F1のエンジンが吠える音に引っ掛けている。さらにもうひとつ、「Won」の数が5つあるのは、ブリヂストンがフェラーリとのコンビでもってワールド・チャンピオンに5回輝いたことを示している。甲高いエグゾーストノートとともにサーキットを駆け抜けるF1の躍動感が良く表現されているし、「5回もチャンピオン獲っちゃったもんね」という自慢気な様子がさり気なく出ていて、しゃれている。

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アルバート・パーク周辺では、トラムにブリヂストンが広告を出していたほか、マクラーレンとパートナーを組むタグ・ホイヤーが、ドライバーのキミ・ライコネンを起用した広告ポスターを作り、駅周辺にベタベタ貼り付けたりしていた。テレビをつければ、トヨタのテストドライバーを務めるオーストラリア出身の若手、ライアン・ブリスコが出てきて市販車の宣伝にひと役買っている。新聞を広げれば、大幅に誌面を割いてF1特集。なにもかもがF1一色で、自然と気分が高揚しようというものだ。

そんなこんなを感じながらトボトボとサーキットを歩き回っていたのだが、どうも暑い。プレスルームのモニターで外気温を確認したら35℃もある。暑いわけである。だが、湿度が30%しかないので、体感気温はそれほどでもない。湿度の高いマレーシアだったら、汗だくになってうんざりだったろう。
(つづく)

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【レースな世界紀行2004】その3 [レースな世界紀行 2004]

年が明けたので7年前の話が8年前になってしまいました。2月の出来事だったかな……。ソコに行ったことは覚えていましたが、ディテールは再発見でした。ちょっと長いですが、区切らずに掲載します。当時の写真を探したのですが、撮影禁止だったのか、見当たりません。なので、2009年にTMGで撮影したカットをにぎやかしに載せておきます。

その3
トヨタ工場見学
日本・名古屋

今年初めての新幹線乗車である。朝9時に東京駅の14番ホームで出迎えてくれたのは700系のぞみだった。

2時間弱で名古屋に到着。トヨタ自動車広報部が用意してくれたバスに乗り込んで豊田市にある本社工場に向かう。ここではF1マシンが積むエンジンを構成する部品の機械加工を行っており、その工程を見学するのがこの日の目的だった。本社工場を見学したあとは、エンジン部品の鋳造を行っている明知(みょうち)工場(愛知県西加茂郡三好町)を訪れることになっている。

社会科見学のようだが、原稿を書いていくばくかのゼニを受け取る僕にとってはビジネスである。しかるに、バスにガイドさんが乗っているとどうも調子が狂う。でも、「右手をご覧ください」のようなガイドはなかった。だから、観光気分に浸ることはなかったのだけれど、そのかわり、おしぼりを出してくれた。そのあとで、お茶も。お茶のサービスなど、やかんから紙コップへダイレクトに注ぐ。走行中に、である。

お茶が満タン状態のやかんを持ったガイドさんが前方に背を向けて立ち、客のひとりひとりにお茶を注ぐ。右手にやかん、左手に積み重なった紙コップ。客はガイドさんの左手から紙コップをつまみ取り、やかんに向けて捧げ持つ。

何度も書くが、走行中である。ゆえに、揺れている。何かの拍子に熱いお茶がこぼれて紙コップを持つ手にかかりはしないかとヒヤヒヤする。そんなことは起きては大変と、順番を待つ客も石像のように体を固くして成り行きを見守っている。

僕はそのとき、格別お茶も飲みたくなかったし、熱いお茶が手にかかりでもしたらイヤだったから、「結構です」と断ろうと思ったのだが、いつもの優柔不断さが顔を出して「ください」と言ってしまった。

熱そうなお茶が紙コップになみなみと注がれた。幸い手にかかることはなかった。バスガイドさんは、相当に熟練していると見える。少し冷ましてから飲もう、と考えたのがいけなかった。前の座席の背もたれにあるカップホルダーを出して、熱いお茶がたぷたぷいっている紙コップを置こうとした際、どう手元が狂ったのか、真っ逆さまに落下した。

紙コップは僕の左膝の上と足首にお熱いお茶をこぼして床に転がった。「あっちー!」と声も出ないほど熱かった。とくに足首が。条件反射で左足が脚気の検査のように上方に跳ね上がって、バスの内壁を強打したが、痛さよりも熱さの方が格段に勝っていた。何か冷ますもの……と周囲を見渡したが、あるはずもない。口を近づけてフーフー吹こうにも、長年の運動不足が祟って体が鋭角に折り曲がらない。すなわち、為す術がない。ジタバタしている間に本社工場に着いた。

着いた頃にはあんなに熱かったお茶がすっかり冷めて、気化熱でもってスースーする。そんな状態で工場へ。

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トヨタのF1なんだから、エンジンだってなんだってトヨタの工場で作って当然でしょう。と考えるのもごもっともだが、実はそうではない。F1グランプリは三重県の鈴鹿サーキットで毎年10月に開催されているし、2004年からはバーレーンだの上海だのでグランプリが開催されはするが、基本的に、F1はヨーロッパのスポーツである。ヨーロッパで興り、ヨーロッパ人が多く携わってきた。いかにヨーロッパ以外の開催地でレースが行われようとも、ヨーロッパの流儀で物事が推し進められていることに変わりはない。

だから、トヨタもF1に参戦をする際、ドイツ・ケルンにあるレース部門の子会社、TMGにF1参戦車両の開発・生産やチーム運営の一切合切を託した。が、一切合切と言ってしまっては語弊があって、エンジンを構成するシリンダーブロックやシリンダーヘッド、クランクシャフトは日本の工場で生産し、TMGに納めている。

先端技術の集合体とも言われるF1は、市販車の延長線上にあるような乗り物に見えるかもしれないが、多くの専用品から成り立っている。エンジンひとつとっても、専用の知識や技術や道具や設備が必要だ。モータースポーツ産業が古くから発達しているヨーロッパには専業の部品メーカーが数多く存在している。トヨタがドイツに本拠を置くのは、必要な部品を調達するのに都合がいいという理由もある。

F1プロジェクトが始まった当初はヨーロッパの部品メーカーが作ったエンジン関連の鋳造品と、日本で作ったものを半々で使用していたという。ところが、2003年以降は、日本産が主体となっているそうだ。トヨタの技術が専業メーカーの技術を凌駕したといっていい。その背景には、「負けてなるものか」という気概が隠れている。

もちろん、気概だけで優れた部品は作れない。何より必要なのは技術力である。それも、コンピューターやら工作機械やらを駆使した技術力ではなくて、熟練の職人技であるところが興味深い。

本社工場は本来、ランドクルーザーやトラック、バスのシャシーを作る工場である。この工場の一角にエンジンの試作工場がある。ここでは将来世に送り出すエンジンの試作を行っている。このエンジン試作工場の一角にF1エンジンの機械加工部門があり、ユニット生技部の人々が働いている。

F1エンジンの部品を加工する部屋は特別な囲いが設けられている。これは室内の温度を一定(20℃)に保つためで、なぜ保つのかといえば、ブロックやヘッドに用いるアルミニウム合金が温度変化にシビアだからだ。ミクロンオーダーの細かい仕事をしているので、温度変化によって部品が膨張したり縮小したりしては困るのである。

部屋の出入口には床に粘着テープが貼ってあって、靴の裏についたごみやホコリを室内に持ち込まない仕組み(職人としての誇りは持ち込んでも良い)。細かい作業をするだけあってピンと空気が張りつめている。壁には「世界に冠たるレース・エンジン・チームを目指す」というスローガンを記した横断幕が張ってあるかと思えば、「死作、試作、我々はどっちだ」などというドキッとするような標語も張ってある。ちなみに、壁に掛かった時計はハロー・キティだった。

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クランクシャフトは金属の棒から削り出す。もちろん、市販車でこんなことはやらない。削った部品はペーパーやペーストや手磨きで鏡面仕上げにするが、こんなことも市販車ではやらない。「非常に固い物質をキズなく仕上げる」技術がスゴイのだそうである。素人の僕はただははーんと口をあんぐりあげて見守るしかなかった。

バスに20〜30分ほど揺られて明知工場へ。ここはエンジンや足回りの鋳物部品、足回りの機械部品の生産を主業務としている。その一角で、F1に使うシリンダーヘッドやシリンダーブロックの鋳造を行っている。バスから降りるなり、金属に特有の臭いが鼻を突く。地下鉄の駅ホームなどで嗅ぐ、電車のブレーキ臭に似ている。

鋳造もまた、職人芸が必要だ。鋳造生技部のS部長は、「F1のシリンダーヘッドやシリンダーブロックを作るには、高強度にする必要があります。金属は早く固めれば固めるほど強くなる性質があり、高強度にするには早く固める必要があるのです」と説明する。

じゃあ、早く固めればいいじゃないの、と考えるのは素人の浅はかさというものである。F1のシリンダーヘッドやシリンダーブロックはまことに複雑な形状をしており、シリンダーブロックなど、ただのアルミ合金の箱のように見えて、内部は蟻が巣を作ったような空洞が張り巡らされている。冷却水の通路だ。うまく空洞ができるように木型に中子を組み付けたうえで、約700度に溶けたアルミニウム合金を流し込むのだが、木型、中子の製作にそれぞれの高い寸法精度が求められ、組み付けた際にも高い精度が求められる。

高い精度とは100分の1mm単位である。木型や中子は、溶けた金属を流し込んだ際に発生するガスの抜けをも勘案して設計しなければならない。ひと口に鋳造と言ってもレベルはさまざまで、F1用エンジン部品を鋳造する難しさについて前出の部長は、「ゆるいカーブを50km/hで走ればやさしいが、300km/hだと難しいでしょ」と例えた。

というような説明を、工場を見学しながら聞いた。たいていどこでもそうだが、工場の中は騒音で満たされているので、イヤホンを耳に差し込んで歩く。説明員がマイクに向かって放った言葉が電波に乗って説明を受ける人の携帯レシーバーに届き、レシーバーから伸びたイヤホンに伝わる仕組みだ。

その電波が途中で途絶え、前触れもなく声が聞こえなくなった。20人ほどいた見学者の誰もがレシーバーのダイヤルやらスイッチやらを一斉にいじくる姿を想像し、周囲を見渡したのだが、いじくり回しているのは僕だけだった。残念ながら読唇術の心得はないので、各所に設けられたパネルなどを見、説明が聞こえるフリをしてフンフンと頷いてみたりもした。

いつもなら仕事帰りの新幹線はビールとつまみを欠かさないのだけれど、なぜだかこの日は疲労困憊の体で、缶コーヒーとチョコレートの組み合わせで帰路についた。途中意識を失い、気がついたら新横浜だった。
(つづく)

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【レースな世界紀行2004】その2の3 [レースな世界紀行 2004]

その2シリーズもこれで最後です。今回はドライバーもチーム関係者も出てきません。悪しからず。

その2の3
IRLオープンテスト
アメリカ・マイアミ〜ホームステッド

ホームステッド来訪3日目にして、アメリカ東南端らしいいい天候に恵まれた。とくればもう、日向ぼっこしかない。パドックの端に口を開けたトンネルを通ってグランドスタンドの裏に出る。裏に出るといっても、サーキットにやってくる観客にすれば、こちらが正面だ。つまり客向きの装いが施してあるわけで、これがかなり高いレベルで僕の琴線をぶるぶると揺さぶった。

いかにもアメリカ東南端らしい雰囲気を醸し出していたのである。アールデコ見物は叶わなかったが、アメリカ東南端風というか、マイアミ風というか、フロリダ風というか、要するにディズニーランドっぽい。パームツリーの並んだ街路越しに見るメインビルディングなんぞ、舞浜のアンバッサーダーホテルを彷彿とさせる風情だ。薄い青にサーモンピンク、薄いイエローにペパーミントグリーンといった色づかいが“いかにも”である。昨日までは「ものすごい田舎に来てしまった」という、ちょっぴり湿っぽい気分でいたのに、客向きの装いを見た途端、「アメリカ東南端にやってきたゾ」と高揚した気分になるのだから現金なものである。

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気分が180度転回した状態で、オーバルコース全体が見渡せる観客席の最も高い位置に陣取り、18台のインディカーがテスト走行をする様子を気ままに眺めたものだから、最高に気分が良かった。南国の日差しと柔らかい風が、袖をまくった腕に心地よく当たる。ビールがあればもっと気分が良かったのだが、そう都合よくいかない。

オーバルコースを周回するインディカーを眺めるといつも感じるのは、鉄道模型が走り回るジオラマを見るのと同じような、天空から下界を見下ろす不思議な感覚である。鉄道模型のジオラマを見下ろす際は、自分が実物大で対象が何分の1かの縮尺。チャンプカーを眺める際はどちらも実物大なのだが、なぜだか自分が何倍か大きくなって、縮尺モデルを見下ろしているような錯覚に陥る。

こうした不思議な感覚に浸っていると、インディカーが単独でぐるぐるとオーバルコースを周回するだけの単調な動きも、まったく見飽きない。1時間でも2時間でも同じ姿勢で眺め続けることができる。

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この日もそうして不思議な感覚を楽しんでいると、突如背後から「ヘイ!」と大声がした。振り向くとセキュリティが立っている。ビア樽のような、という表現が古ければウイスキー樽のような(一緒か)立派な体躯をしたアメリカ人である(おそらく)。

僕はこの種の人物と出くわすと別段悪いことをした訳でもないのにビクッとする性質がある。このときもそうだった。「はい?」と用向きを尋ねるような視線でもって弱々しく返答すると、豊かな口ひげを蓄えたウイスキー樽氏はこう言葉を継いだ。

「楽しんでるかい?」

人を振り向かせておいて掛ける言葉がこれである。「た、楽しんでます」とようやくの思いで答えると、「そうか。じゃあ、ライフセーバーをやろう」と言って、ポケットをごそごそとまさぐり始めた。

頭の中がクエスチョンマークが飛び交った。「楽しんでいるか」の問いに「楽しんでいる」と答えた。「楽しんでいる」を受けた上での「ライフセーバーをやろう」とは何を意味するのか。後ろから見たオレはそんなに疲れているように見えたのか。それとも、思い詰めているように見えたがゆえに元気づけようと、声を掛けてくれたのか。

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ウイスキー樽氏のポケットのあたりにぼんやり焦点を当てて考えていると、ごっつい手がのそりと出てきてこっちに差し出された。デッカイ手のひらにあめ玉のようなものが載っかっている。無意識にそれを手に取り、「ありがとう」と言った。ウイスキー樽氏は手を挙げて去って行った。

受け取ったばかりのあめ玉様の物体を改めてじっくり見ると、500円玉大のトローチだった。表面に「LIFE SAVER」と浮き彫りがしてある。正体はトローチだった。一件落着。なワケはない。日本通でもない外国人に「グリコやるよ」が通じないように、アメリカになじみのない日本人に「ライフセーバーをやろう」の意味が理解できるワケはないのである。

ウイスキー樽氏がくれたライフセーバーは、透明ビニールの包装がしわくちゃなうえ、ビニールの内側にトローチから削れた粉末がずいぶんこびりついていた。どう見てもポケットの中に昨日今日入れたのではなく、一昨日や一昨々日よりずっと前からポケットの中にあったことを示していたけれど、せっかくだから口の中に放り込みんでなめた。命が救われたような気が……しないでもない。
(つづく)

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【レースな世界紀行2004】その2の2 [レースな世界紀行 2004]

もう飽きてきたんじゃないでしょうか。そんな意見にはお構いなく、続けていきましょう。ホームステッドのつづきです。

その2の2
IRLオープンテスト
アメリカ・マイアミ〜ホームステッド

ホームステッド・マイアミ・スピードウェイは、湿っぽくて白っぽくて見渡す限り茫漠たる大地のだだっ広いところにあるワケだけれども、施設の中もひたすらだだっぴろい。IRLがレースをするサーキットはどれもこれもオーバル、すなわち長円形で、ホームステッドは1周が1.5マイル、すなわち2.4kmほどである。

この2.4kmの内側にレース車両の整備をするガレージが並び、取材陣が仕事をする(フリだけの人もいる。僕も含めて)プレスルームがある。取材に訪れる人が乗り付けたクルマを止める駐車場もあれば、レース車両(インディカーと呼びます)を運んできたり、整備をする機械や道具を運んでくる長大で超大なトレーラーを止める駐車場もある。2.4kmの内側の面積が何平方メートルになるか知らないが、とにかくだだっぴろい。目に入るのは、アスファルトの路面とコンクリートの建築物とトラックとクルマと、そんなところで、至って殺風景である。

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というような場所にあって、ホンダのホスピタリティはオアシスのようだ。ヨーロッパを中心にレースを行うF1では、参戦各チームが懐具合の豊かさを誇るように(度が過ぎる、という意見もあります)豪華なホスピタリティをパドックに持ち込み、ゲストやジャーナリスト連中をもてなしているが、IRLではF1ほどにホスピタリティ文化は浸透していない。

そんな状況で、ホンダはホスピタリティを構える数少ない組織である。ほっと腰を落ち着ける場所があるのはありがたい。何よりお昼はランチをごちそうしてくれる。本来はサーキットで働くスタッフのための給仕施設を一般に開放しているわけだから、千客万来、来る者拒まずの姿勢は大盤振る舞いといえよう。スープがあってサラダがあってメインがあって(すべて日替わり)、ソフトドリンクがあってコーヒーがあってフルーツがあってデザートがあって、もうお腹いっぱいである(全部食べるからだ!)。

そんなホンダのホスピタリティで、久しぶりにロジャー安川選手に会った。前年在籍していたSAFRのシートを継続して確保することができず、松浦選手にシートを譲ったけれども、本人の努力とホンダの協力などで、アメリカン・オープン・ホイール・レースの参戦チームの中では名門に数えても誰にも叱られないはずの、チーム・レイホールと契約を結ぶことに成功。もてぎで開催される第3戦と、インディアナポリスで開催される第4戦に出場する切符を手に入れた。

シートを失ってから手に入れるまでのいきさつを聞き、さらに、第5戦以降の契約について関係各方面との協議中であるという話を聞いた僕は、2年間会わないうちにたくましく成長した安川選手の姿を見て、不覚にも涙をこぼしそうになった。

2年前に会ったときの安川選手は、IRLと並ぶアメリカン・オープン・ホイール・レースのもう一方の雄、CARTの下位カテゴリーにあたるトヨタ・アトランティック参戦に向けて闘志を燃やす若き青年であった。ちょっとしたいきさつがあって、ロサンゼルスから数百キロ北に離れたモンテレーまで、安川選手の運転するクルマの助手席に5時間だか6時間だか乗せてもらったのだが、道中、日本にいる知人に心のこもった電話をかけている様子などを見て、目を細めたものである。

だが、このとき目の前にいる安川選手の言動は内面の成長を物語っていた。腕っ節も首回りも太くなって、体つきも立派である。正真正銘、トップカテゴリーを戦うレーシングドライバーという印象を強くした。安川選手の成長ぶりを確認できたのは、今回の旅の収穫のひとつである。

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オーバルコースを走るレーシングドライバーは、左腕より右腕の方が太いという事実を発見したのも、今回の旅の収穫だった。この日のテスト終了後、レース車両を降りた高木選手が、右腕に氷嚢をあてていたのを発見したことに端を発する。

オーバルコースの曲線部分にはバンク=傾斜がついている。コースによって3度から24度の開きがあるが、ホームステッドの場合は18度から20度のバンク角がついており、ここに向かって300km/h超でもって進入していくと、遠心力の働きでもって外側(つまり進行方向右です)に向かって飛び出そうとする車両を制御する必要に迫られる。つまり、ステアリングを保持する右腕に多大な力を込めるわけだ。

もちろん、力を蓄えるために、IRLのドライバーは日頃からトレーニングを欠かさないのだが、高木選手に言わせれば「トレーニングと実際の走行では使う筋肉が違う」ため、腕が張るのだそう。安川選手にも尋ねたところ、「そうですね、レースの直後にタイトなTシャツを着ると、左の袖には腕がすっと入るのに、右腕はぱんぱんに張っていることがあります」と教えてくれた。

だが、同じ質問をルーキーの松浦選手にしたところ、「いいえ、何にも感じません」と素っ気ない返答(個人差あり、ということか)。しかも、翌日高木選手に腕のことを尋ねると、「(腕を保護する)パッドをつけたら何ともなくなりました」と、これまた素っ気ない答えであった。
(つづく)

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【レースな世界紀行2004】その2の1 [レースな世界紀行 2004]

「その2」はアメリカに飛びます。IRLにデビューする日本人ドライバーの動向を追うのが目的(だったのだと思います)。うーん、それにしても初々しい。

その2の1
IRLオープンテスト
アメリカ・マイアミ〜ホームステッド

1週間の日本滞在ののち、アメリカに飛んだ。マイアミに降り立つのは前年の春、F1ブラジルGP取材のためにサンパウロに行った際、2度目の乗り継ぎ地点として立ち寄って以来である。飛行機から降りて空港ロビーに出た途端、ムッとむせかえるような湿気を帯びた熱気と、英語に負けず劣らずの勢いでスペイン語が飛び交っている様子に刺激を受けた覚えがある。

初めて空港の外に出たが、1年前に初めて降り立ったときの印象と変わりはなかった。ホテルはマイアミ国際空港の近く。部屋に冷蔵庫の備え付けがないので、ガソリンスタンドで飲み物を買うことにした。なんで飲み物がイコール「ビール」なんだ、と問いつめないでくれる寛大な気持ちを持っていただきたい。

同宿者の3人がカウンターに思い思いの品物を載せると、「これも一緒に買うのか」というような調子でレジのおばさんがこう言った。「なんとかかんとかセルベッサ?」と。セルベッサとはビールを意味するスペイン語である。ことほどかように、マイアミではスペイン語が幅を利かせている(と、わずかなエピソードでもって断じてしまおう)。

マイアミと聞いて僕が思い浮かべたのは、アールデコである。アメリカン・アールデコが花開いたのは、エンパイア・ステート・ビルやクライスラービルが立つニューヨークだが、それらが全米各地に飛び立ち、風に乗ってマイアミに着地し、別の花を開いた。ダウンタウンの東側海岸寄りにはアールデコ地区なる宝庫があると、観光ガイドにも専門書にもある。

行ってみたい。

だが、そうはいかぬのである。レースな世界紀行は、観光地とは(ほとんど)無縁だからだ。空港とホテルとサーキット。ほとんどが、この3点を結ぶ直線上を行き来するだけだ。今回の旅も例外ではなく、夢にまで見たアールデコ地区をかすめることもなくフリーウェイを南下。いや、途中からトールロード(有料道路)に入って2カ所の料金所でそれぞれ75セント也を支払って40分ほども南下すると、そこはホームステッドだ。

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今回の旅の目的はいIRL(インディ・レーシング・リーグ)のオープンテストを取材することである。IRLにはホンダ、トヨタという日本の自動車メーカーが、チームにエンジンを供給している。日本人ドライバーも活躍中で、2004年は高木虎之介選手、松浦孝亮選手がフル参戦を、ロジャー安川選手が第3戦、第4戦にスポット参戦した。

本場アメリカでIRLを見るのは初めてだった。“本場”と書いたのは日本でもIRLが見られるからで、2003年から栃木県にあるツインリンクもてぎで開催されている。もてぎ+IRLの組み合わせは前年のレースで体験済みだった。

「マイアミ」とは聞こえがいいが、その実サーキットがあるのはホームステッドで、ホームステッドに来てみればわかるが、ここは茫漠たる土地としか言いようがない。見渡す限り原っぱである。いや、原っぱという表現も正確じゃなくて、湿っぽくて白っぽい土地に草がところどころ生えている。

トールロードを降りて一般道に入り、最初の角を右に曲がると、片側2車線の道路が一直線に続いている。左手はいま書いたような湿っぽくて白っぽい茫漠たる土地が広がっている。その彼方にサーキットのメインスタンドが横たわっている。まるで海に浮かぶ巨大な空母のようだ。

テストでも好タイムを連発していた高木選手に話を聞くと、「IRLは田舎だからねぇ」とぼやいていた。高木選手を持ち出したついでに彼にまつわる話を続けると、今年IRLにデビューする松浦選手とは先生と生徒の関係だったことが、今回の訪問で判明した。1999年、松浦選手がフォーミュラ・ドリームという駆け出しのレース生活を送っていた頃、高木選手はスクールの講師として若き(今でも十分若いが)松浦選手を指導していたというのである。

「その頃のコースケ君はどんなでしたか」
と質問すると、
「あの頃から良くしゃべっていたけど、今はもっとすごい」
と笑って、30歳になった先生はこう続けた。
「オレも歳とったけど、若いモンにはまだまだ負けられないよ」

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レーシングドライバーは、僕らの尺度とは違う歳の取り方をするらしい。さて、かつての先生に「負けられない」と言われたかつての生徒は、前年にIRLのテストを済ませていたけれども、そのときは借り物のクルマであった。17人のライバルが同じ土俵で一度に走る合同テストで、自分専用に仕立てられたクルマに乗るのは今回が始めてである。松浦選手のこの時の先生はもちろん高木選手ではなくて、元F1ドライバーにしてレーシングチームの代表である鈴木亜久里さんである。松浦選手は、鈴木さん率いるスーパー・アグリ・フェルナンデス・レーシング(SAFR)というチームに所属し、ホンダのエンジンを背負ってIRLに参戦する。

ちなみに、高木選手はモー・ナン・レーシングというチームに所属し、トヨタのエンジンを背負って出走する。IRLでのふたりは師弟対決であり、エンジン・メーカー同士の対決でもある。でも、当人どうしはとても仲がいい。折りたたみ式の小さい自転車に乗った松浦選手が「虎之介さーん」と声を上げながらパドックを走り回っていた。

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テスト走行を控えた松浦選手が鈴木さんとこんなやりとりをしているシーンを見かけた。
「コースケ、オーバルはな、ふつうのサーキットみたいにアウト・イン・アウトじゃだめだぞ」
「はい」
「それから、集団で走るときはバッとアクセル抜いたらだめだからな。そうすると、何台も一気に抜かれる」
「はい。少しずつ抜きます」
言われるがままじゃあない。デキル生徒は積極的に自分の意見を言う。

「ピットアウトするときに白煙を巻き上げて出るドライバーが多いじゃないですか。あれ、結局遅いと思うんですよね。ブリヂストンの浜島さんも言っていましたが、白煙を上げても結局タイヤを傷めるだけなんですって。白煙を上げてタイヤを温めたつもりでも、イエローでゆっくり走ればすぐに冷めちゃいますしね。僕は白煙を上げず、フツーにピットから出ようと思うんです」
「そうか」
 と言って、鈴木亜久里しは教え子のたくましく育った姿に目を細める。といった具合で、なんとも微笑ましい光景であった。
(つづく)

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【レースな世界紀行2004】その1の2 [レースな世界紀行 2004]

「つづきを読みたい」という声(少数ですが)に押され、調子に乗ってつづきをアップします。「その13」まであります。最後までつづくかどうか。

その1の2
トヨタF1新車発表会
ドイツ・デュッセルドルフ〜ケルン

「見せたい村がある」というので、取材後、アンダーソンさんの案内に従って近くの村でランチをとった。「13世紀からそのまま」という城郭都市で、石と木でできた瀟洒な建物が並ぶ。ヨーロッパの村や町や都会に来るといつも思うのだけれど、通りに電柱のない景色はそれだけで価値がある(と日本の無粋な街並みを思い浮かべつつ、そう思う)。ソーセージとマッシュポテトを食し、地ビール(酵母を濾過しないタイプだった)をのどに流し込んだ。

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ナイフとフォークを動かしながら、「もし、あなたがトヨタと関係なかったとしたら、どんな市販車がお気に入りですか」と少々いじわるな質問をしたのだが、「それでもやっぱりトヨタのLS430を選ぶね。快適なのが一番」と答えた。
「元ラリードライバーだからスポーティなクルマが好みなのかと思っていました」
 と感想を述べると、
「そんなことはないよ。ジャガーのクーペも好きだ。スタイルがいい。乗るとがっかりするのが難点だが」
との返答。

TMGに戻ってリハーサルの見学。チームの首脳陣にオリビエ・パニスとクリスチアーノ・ダ・マッタが加わって、組み上がったばかりのステージをぞろぞろと歩いている。パニスはシックな革ジャン姿、ダ・マッタはダボダボのジーンズを履いたルーズな格好だ。

発表会本番でダ・マッタは、「今年の目標は?」という司会者からの質問に対し、「チームが成し遂げた進化がトップチームとのギャップを縮め、勝てるチームに成長するための大きなステップになることを信じている」と優等生的な発言をしたのだが、リハーサルでは「毎戦ポールポジション、毎戦優勝」と答えて、場内から小さな笑いを誘っていた。こっちが本音だろう。

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さて、夜はケルシュである。シャンパーニュ地方で作った発泡性ワインだけがシャンパンと名乗ることを許されているように、ケルンで醸造したビールにのみ、ケルシュと名乗ることが許されている。といって、お高くとまった飲み物では全然なくて、飲みやすい。何も知らされずに飲んだら下面発酵の代表選手ピルスナーと間違えそうだが、実は上面発酵である。これはケルシュなのだ、と意識して飲めば、ピルスナーとは喉ごしも異なるし、香りもまた別だ。

実のところ、ケルシュが飲めるから、ケルンが好き。アルト・ビールが飲めるからデュッセルドルフも好き。どこに行ってもうまいビールが飲めるから、ドイツが大好きだ。

ケルシュを飲んだのは金太郎というジャパニーズ・レストランだ。大聖堂から西へおよそ1km、ルネッサンス・ホテルの近くにある。金太郎はTMGに務める日本人スタッフの御用達になっている縁で、おじゃました次第。トヨタF1のポスターやら、ドライバーのサイン入りミニチュアモデルやらが壁に貼り付けてあって、どれだけTMGのスタッフに贔屓にされているかを窺うことができる。

カウンターの端ですしを握っているAさんという板さんもまた人物で、忙しく手を動かしながらちゃっかり客の会話を聞いていて、絶妙な合いの手を入れる。元来レース好きだったのか、来店する客の影響でレース好きになったのかは未確認だが、無類のレース好きであることは確かだ。ニュルブルクリンクで24時間レースが行われた際は、関係者のひとりがおにぎりの出前をAさんに注文した。注文するほうもするほうだが、受けるほうも受けるほうだ。Aさんは深夜のアウトバーンをカッ飛ばし、100km離れたニュルブルクリンクに無事おにぎりを届けたそうである。ものすごく、「人物」である。

ケルンにいることを忘れさせてくれる料理の味による影響が大なのだと思うけれど、ケルシュと日本食がこれまた良く合う。金太郎で味わったのと同じように、日本でケルシュと日本食を組み合わせることができないのがいかにも残念。ま、ケルンならではの楽しみ、としておこう。

デュッセルドルフからケルンに宿泊地を移した翌日は、ホテルで1日の大半を過ごした。夕方になってのそのそと行動を開始。近所のキオスクでポテトチップを買い、冷蔵庫から瓶入りケルシュを取り出して腹ごなし。夜は再び金太郎でケルシュ(飲んでばかり)。

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しかし、ホテルというものは、どうしていつも乾燥しているのだろう。乾燥しきった部屋で喉を痛め、これがもとで体調を崩すといった経験が以前に何度もある。何も僕だけに限った経験ではないようで、ホテルでの使用を前提にした携帯型の加湿器もあるようだ。が、あいにく持ち合わせていない。

といって、手をこまねいて乾燥に耐えているわけでもない。バスタブに湯を張ることもやってみたが、どうも効果が薄いようだ。ベッドから距離が離れていることに原因があるように思う。濡れたタオルをハンガーに掛け、部屋の一隅に吊すこともやった。これはなかなかいい。

なかなかいいが、作業が完了するまでに時間がかかるのが難だ。とくに泥酔して一刻も早くふとんにもぐり込みたいときなど、もどかしくて仕方がない。こういう場合どうするかというと、床に水を撒くのである。洗面所に置いてあるコップに水を満たし、ベッドの周囲に5〜6杯も撒く。これで完了。夜中にトイレに起きたときに濡れたカーペットを踏みつけて不快な思いをすることもあるが、湿度環境面は快適だ。朝にはすっかり乾いていて、部屋の乾燥具合を思い知ることになる。良識ある大人がすることではないが……。

トヨタのF1新車発表会はつつがなく終了。ダ・マッタはリハーサルでの威勢のいいコメントをぐっと呑み込んで、台本通りの言葉を残し、ステージの奥に消えた。帰国便に乗るのは日曜日の夕方で、フライト時刻までたっぷり時間があるというのに、手持ちぶさたであった。ドイツの日曜日ほど買い物に向かない日はない。店という店はシャッターを閉め、シャッターのない店は出入り口のドアを厳重にロックし、「今日は絶対に商売しません」と宣言するかのように強固な意志を主張している。それを知ってか知らずか(おそらく先刻重々承知なのでしょう)、通りにもまったく人気がない。

これはTMGに務める日本人スタッフから聞いた話なのだが、日曜日に庭の芝刈りをしたら、近所の住人から「そんなこと日曜日にするんじゃない」とたしなめられたそうである。「日曜日にしないでいつするんだ」と思ったそうだが、怒られるんじゃあ仕方がない。同様にして、日曜日の洗濯も禁物なのだそう。彼の国ではとにかく、日曜日は何もしてはならないような雰囲気が漂っている。

仕方なく(と言ったら失礼ですね)、「難波(なにわ)」というラーメン屋に寄った。だがここでもラーメンは食べない。理由は至極簡単。アルト・ビールを腹に収めるため。ドイツ滞在をアルト・ビールで締めくくれるのだから、ショッピングを堪能できずとも幸いとすべきである。あ、空港でもしこたまピルスナーを飲んだっけ。
(つづく)

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【レースな世界紀行2004】その1の1 [レースな世界紀行 2004]

調べものがあって2004年に書いた原稿をあさっていたら、出張した折に書いておいたなぐり書きのようなテキストが出てきました。ブログをやっている時期だったらブログに上げていたのでしょうが、始める2年前だったので、備忘録やら雑記帳やらに残しておくようなつもりで書いたのでしょう。

これが、読み返してみると、書いてある内容が人ごとのように新鮮。ほとんど覚えていないことばかり。「あ、こんなことあったんだ」と。テキストの中で登場する人物に、7年(もうすぐ8年)の歳月を感じます。20回か30回か40回にわけて、アップしていこうと思います。不定期で。途中で前触れもなくぷつっと終わるかもしれませんが……。

その1の1
トヨタF1新車発表会
ドイツ・デュッセルドルフ〜ケルン

松飾りがとれてすぐ、飛行機に乗った。参戦3年目を迎えるトヨタF1の新車発表会に出席するためである。会場はトヨタF1の開発・製造、チーム運営の中枢であるTMG(トヨタ・モータースポーツGmbH)で、目的地はドイツ・ケルンの郊外である。

最終目的地はケルン、と言い換えた方がいいだろうか。ストレートにケルンには向かわず、北に40kmほど離れたデュッセルドルフに宿泊先を設定したのだから。なぜか?旅の一団を構成する3名のうちひとり、すなわち僕にまったく主体性がなかったからである。「初日はデュッセルに泊まろうか」「いいですよ」てな具合で決まった次第。

理由らしい理由があるとすれば、トヨタからTMGに派遣されている日本人スタッフの多くがデュッセルドルフに住んでいること。当地の自治体がさかんに日本企業を誘致した甲斐があって、いまやデュッセルドルフには約7000人もの日本人が住んでいるという。街を歩けばごくふつうに日本人の姿を見かけるし、日本の食材を扱ったスーパーマーケットもあれば、最新の書籍や雑誌(もちろん日本の)が手に入る本屋もあり、串揚げ屋もあれば、ラーメン屋もある。ゆえに、TMGの日本人スタッフはデュッセルドルフに住み、毎朝トヨタ車を運転して職場のあるケルンまでドライブを決め込んでいるのである。

こうした日本人スタッフらと夕飯でもご一緒しようと、僕ら取材陣はケルンにそっぽを向き、宿泊地にデュッセルドルフを選んだのだった。が、見事に肩すかしを食らった。トヨタは新車のシェイクダウンをフランス・マルセイユ近郊のポールリカール・サーキットで行っており、TMGの主だったスタッフも彼の地に赴いていて不在だったからだ。

だから、僕ら3人衆は久々の海外渡航で疲れ切った表情を浮かべつつ、「越佐(えっさ)」というラーメン屋で静かに食事をとったのである。でも、いいのだ。デュッセルドルフにはアルト・ビールがある。焙煎した麦芽が醸し出す暗褐色の液体は、わずかに苦みの利いた香りでもってチクチクと鼻の奥を刺激しつつ、控えめな炭酸でのどの奥をチロチロと突っつく。僕はこのアルト・ビール200ml入り一杯2.5ユーロ也を2杯は胃袋の中に収めるつもりでいたから、腹がふくれるラーメンを頼まずに、チャーハンと餃子をオーダーした。賢い選択だと自画自賛。満腹ゆえに時差ボケによる“深夜の目覚め”を経験せず、2日目の朝を迎える。

 メルセデス・ベンツC180ディーゼル(レンタカーです)の助手席に収まり、小1時間のドライブでTMGに着いた。この日のテーマは、TMGを巨大組織に育て上げた立役者、オベ・アンダーソンさんのインタビューと、翌日に行われる新車発表会の設営・リハーサル風景を取材することである。

「午後にイギリスに行かねばならない」と聞いていたから、あえて午前中に取材を申し込んだのに、念のため「今日のご予定は?」とたずねると、「一日空いているよ」とにっこり応えるアンダーソンさんであった。

「過去のラリー活動で獲得したトロフィーの写真を撮りたいんですが。どこにありますか?」と質問すると、「ほとんど家にあるな」の答え。すかさず、「では、インタビューのあとお宅におじゃましてもいいでしょうか」と切り出すと、「ああ、いいよ」と軽く答えてくれた。言ってみるものだ。

TMGから30分くらい、と聞いていた我々は、アンダーソンさんが運転するレクサスLS430の尻を追っかけた。およそ10分、一般道を周囲の流れに合わせて走ったアンダーソンさんのLS430は、おもむろにアウトバーンの進入ランプに舵を切った。ここまでは予想の範囲内。だが、このあとアンダーソンさんは僕らの予想をはるかに超えた行動に出る(というより、僕らの予想が甘すぎた)。

見覚えのある道だな、と思ったとおり、アンダーソンさんがたどるのはF1ヨーロッパGPの舞台としてあまりにも有名な、というよりヨーロッパのみならず日本でも“クルマを鍛える過酷な舞台”として有名な、ニュルブルクリンクへと向かう路線だった。

LS430は追い越し車線をまっしぐらに突き進む。速度計の針は180km/hの目盛りを挟んで行ったり来たりを繰り返していた。「この調子で行ったら本当にニュルに行っちゃったりして」と、車内では冗談交じりの会話が行われていたのだが、あながち間違った発言でもなかった。着いた先はニュルブルクリンクを抱えるアイフェル山麓、草原と木々とワインディングロードしかないような、いかにもローカルな風景が広がっている。

アウトバーンを降りたアンダーソンさんは、左足ブレーキを駆使して巨体をいとも簡単に操り、居宅へと我々を案内したのである。確かにTMGからは30分ほどのドライブだったが、その距離は約60km。この距離を毎日往復するのはさぞかし大変と思いきや、「あえてこの地に家を求めたんだよ」と、スウェーデン生まれのアンダーソンさんは説明した。

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「ケルンは夏暑いから、涼しい高原に家を求めたんだ。ここはサマーハウスとして使われていたところで、1930年代の築。過ごしやすくて気に入っているよ。ロングドライブ? 全然苦にならない。私は運転するのが好きだから」

「まさか」と否定されることを念頭に置きつつ、「たまに、ニュルブルクリンクに行ったりもするんですか」と質問すると、「ああ、行くよ」と、元ラリードライバーのアンダーソンさんは平然と答えるのだった。「レクサスLS430がデビューしたとき、トヨタはオーストラリア人のジャーナリストをニュルブルクリンクに招いて試乗会を開いたんだ。そのとき、私はアラン・ジョーンズ(元F1ドライバー)と一緒にLS430をドライブした。隣にジャーナリストを乗せてね」

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 ワインディングロードから横にそれ、クルマの往来によってタイヤの通り道だけ地面が窪んだ未舗装路を100mも走ると、アンダーソン邸にたどり着いた。家の左手に馬小屋。「私は興味ない。妻の趣味だ」と言いながら、スペイン生まれの馬にはカルロス、フランス生まれの馬にはディディエと、ラリードライバーに由来する命名をしているところに、少なからぬ関与を感じ入る次第。(つづく)

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