【レースな世界紀行2004】その12の2 [レースな世界紀行 2004]
お盆休みムードがまん延しているので仕事がはかどりません(と、お盆休みムードのせいにする)。
その12の2
F1第16戦中国GP
中国・上海
お金の話が出たついでに物価の話をしておけば、上海の経済はまるっきりの二重構造である。街には地元の人たちの物価と、外国人観光客のための物価がある。1泊7840円で安いと感じるのは日本人の感覚であって、平均月収が数万円の上海人にしてみれば、目ん玉が飛び出るほどに高額だ。
上海滞在中に、独自に調査を行ったところ、タクシーの運転手の月収が1万5000円から2万円。英語と日本語を自在に操る大卒エリートの初任給が4万円である。タクシーの運転手に案内してもらった料理屋に入り、2人でごはんを食べれば、ビール2杯、老酒ボトル1本、チャーハン、スープ入り蒸し餅(ショオロンポオ)、青菜炒め、ピーマンと牛肉の細切り炒め(チンジャオロースー)などを頼んで全部で1000円ちょっとである。これでも中国人の感覚からすれば贅沢な部類に入るのだろうが、まかり間違って五つ星ホテルのロビーでビールでも一杯飲もうものなら、700円から800円は取られる。どこで何を買ったり食べたりするかは、良く考えたほうがいい。
当然のことながら、街には中国語があふれていた。もっともこれは予想の範囲内なので驚くに値しないけれど、意外に日本語を多く目にすることに驚いた。泊まったのは、上海の中心地からだいぶ離れたところにあるというのに、ちょっとタクシーで走り回ればかなりの頻度で日本食レストランを見つけることができる。マッサージも見つけたが、「マサヅ」と書いてあったので、サービスの内容を理解するのにちょっと時間がかかった。
ホテルの客室にも日本語があふれている。ドアの裏側には「火災についての注意」が日本語で書かれている。デスクの上にはホテルの案内が置いてある。「お客様各位」で始まるのが冒頭の挨拶としては一般的だろうが、僕が泊まったホテルでは「親愛なるお客様」となっていて、ちょっとこそばゆい気もした。ベッド横の小さな丸テーブルには「お口の臭いを元から消す」フレッシュ・キャンディが2箱置いてあって、それぞれ10元の値段がついている。「タバコ、お酒、ニンニクの後に」という文句には素直にうなずくことができたが、それに「ニラ」が加えてあるのはどうしたものか。そんなに頻繁に食べないでしょう。
例によって僕はF1グランプリ取材のために上海を訪れたわけで、観光目的で上海を訪れたわけではない。そこが楽しいところでもあり、悲しいことでもあるのだが、いつものようにホテルとサーキットの往復で5日間の滞在を終えた。
だから、昔からの風情が残る豫園にも行ってないし、疎開時代の面影が残るバンドにも行ってなければ、アジア一高いテレビ塔も、88階建てのホテルも見ていない。東京で言えば大泉から外環を通り、三郷から葛西を抜けて東関道を通って成田に行ったようなもので、レインボーブリッジに相当するようなルートを通っていないから、中心地を見ることもなく上海を後にした。恨み節になってしまうので、ここらでやめにしておこう。
さて、どういうわけか日本人はレンタカーが借りられないとかで(借りられなくて良かったという説もある)、ホテルとサーキットとの間の移動はタクシーをチャーターして行った。これがまたひと苦労であった。なぜかと言えば、中国人のドライバーは中国語しか話せないし、我々は中国語を話せないからである。意志の疎通が難しいのだ。
これには会話集が役に立った。木、金、土、日と4日間お世話になった運転手は承さんといった。メモ帳と一緒に会話集を差し出して「あなたのお名前は?」に該当する中国語の文を指さす。すると、承さんはペンをとり「承先生」と書く。自分を先生とは何を偉そうに、と思うなかれ。先生は○○さんの「さん」の意味である。自分の名前に「さん」をつけるのもおかしいか。
朝、ホテルからサーキットに送ってくれた承先生は、夜、僕らが仕事を終えるまでサーキットの駐車場で待っていてくれた(あるいは、市街に戻ってひと仕事していたのかもしれない)。何時に戻ってくるかも分からない僕らをただあてもなく待つのはつらいだろうと思い、朝、別れ際にメモ帳を取り出し、「下午5時」と書いて示した。承先生は「オーケー」と言った。
5時と書いたものの、僕らの仕事は水ものである。これまでの長い経験に照らし合わせてみても、予定どおりの時間に仕事が終わった試しがない。5時と約束したのに、客がなかなか戻って来ないのではさぞ心細いだろうと思い、念のため電話番号を聞いておくことにした。会話集の電話番号に該当する中国語を示し、「これ、これ」と日本語で話しかけると、承先生は差し出されたノートにすらすらと携帯電話の番号を書き記す。
案の定、5時の約束が6時になった。待ち合わせに指定した場所に行って見ると、承先生の姿が見あたらない。ほら、電話番号聞いておいて良かったでしょ、と、調子に乗って番号を押したが「ウェイ?」という承先生の声を聞いた途端、体が硬直した。どうやって会話するんだ一体。
http://www.facebook.com/serakota
その12の2
F1第16戦中国GP
中国・上海
お金の話が出たついでに物価の話をしておけば、上海の経済はまるっきりの二重構造である。街には地元の人たちの物価と、外国人観光客のための物価がある。1泊7840円で安いと感じるのは日本人の感覚であって、平均月収が数万円の上海人にしてみれば、目ん玉が飛び出るほどに高額だ。
上海滞在中に、独自に調査を行ったところ、タクシーの運転手の月収が1万5000円から2万円。英語と日本語を自在に操る大卒エリートの初任給が4万円である。タクシーの運転手に案内してもらった料理屋に入り、2人でごはんを食べれば、ビール2杯、老酒ボトル1本、チャーハン、スープ入り蒸し餅(ショオロンポオ)、青菜炒め、ピーマンと牛肉の細切り炒め(チンジャオロースー)などを頼んで全部で1000円ちょっとである。これでも中国人の感覚からすれば贅沢な部類に入るのだろうが、まかり間違って五つ星ホテルのロビーでビールでも一杯飲もうものなら、700円から800円は取られる。どこで何を買ったり食べたりするかは、良く考えたほうがいい。
当然のことながら、街には中国語があふれていた。もっともこれは予想の範囲内なので驚くに値しないけれど、意外に日本語を多く目にすることに驚いた。泊まったのは、上海の中心地からだいぶ離れたところにあるというのに、ちょっとタクシーで走り回ればかなりの頻度で日本食レストランを見つけることができる。マッサージも見つけたが、「マサヅ」と書いてあったので、サービスの内容を理解するのにちょっと時間がかかった。
ホテルの客室にも日本語があふれている。ドアの裏側には「火災についての注意」が日本語で書かれている。デスクの上にはホテルの案内が置いてある。「お客様各位」で始まるのが冒頭の挨拶としては一般的だろうが、僕が泊まったホテルでは「親愛なるお客様」となっていて、ちょっとこそばゆい気もした。ベッド横の小さな丸テーブルには「お口の臭いを元から消す」フレッシュ・キャンディが2箱置いてあって、それぞれ10元の値段がついている。「タバコ、お酒、ニンニクの後に」という文句には素直にうなずくことができたが、それに「ニラ」が加えてあるのはどうしたものか。そんなに頻繁に食べないでしょう。
例によって僕はF1グランプリ取材のために上海を訪れたわけで、観光目的で上海を訪れたわけではない。そこが楽しいところでもあり、悲しいことでもあるのだが、いつものようにホテルとサーキットの往復で5日間の滞在を終えた。
だから、昔からの風情が残る豫園にも行ってないし、疎開時代の面影が残るバンドにも行ってなければ、アジア一高いテレビ塔も、88階建てのホテルも見ていない。東京で言えば大泉から外環を通り、三郷から葛西を抜けて東関道を通って成田に行ったようなもので、レインボーブリッジに相当するようなルートを通っていないから、中心地を見ることもなく上海を後にした。恨み節になってしまうので、ここらでやめにしておこう。
さて、どういうわけか日本人はレンタカーが借りられないとかで(借りられなくて良かったという説もある)、ホテルとサーキットとの間の移動はタクシーをチャーターして行った。これがまたひと苦労であった。なぜかと言えば、中国人のドライバーは中国語しか話せないし、我々は中国語を話せないからである。意志の疎通が難しいのだ。
これには会話集が役に立った。木、金、土、日と4日間お世話になった運転手は承さんといった。メモ帳と一緒に会話集を差し出して「あなたのお名前は?」に該当する中国語の文を指さす。すると、承さんはペンをとり「承先生」と書く。自分を先生とは何を偉そうに、と思うなかれ。先生は○○さんの「さん」の意味である。自分の名前に「さん」をつけるのもおかしいか。
朝、ホテルからサーキットに送ってくれた承先生は、夜、僕らが仕事を終えるまでサーキットの駐車場で待っていてくれた(あるいは、市街に戻ってひと仕事していたのかもしれない)。何時に戻ってくるかも分からない僕らをただあてもなく待つのはつらいだろうと思い、朝、別れ際にメモ帳を取り出し、「下午5時」と書いて示した。承先生は「オーケー」と言った。
5時と書いたものの、僕らの仕事は水ものである。これまでの長い経験に照らし合わせてみても、予定どおりの時間に仕事が終わった試しがない。5時と約束したのに、客がなかなか戻って来ないのではさぞ心細いだろうと思い、念のため電話番号を聞いておくことにした。会話集の電話番号に該当する中国語を示し、「これ、これ」と日本語で話しかけると、承先生は差し出されたノートにすらすらと携帯電話の番号を書き記す。
案の定、5時の約束が6時になった。待ち合わせに指定した場所に行って見ると、承先生の姿が見あたらない。ほら、電話番号聞いておいて良かったでしょ、と、調子に乗って番号を押したが「ウェイ?」という承先生の声を聞いた途端、体が硬直した。どうやって会話するんだ一体。
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